今回は「いつも2人で」の陰に…のお話。ちょっとゴシップ欄みたいですが…。

オードリーの画像を見ていて思うことなんですけど、よく「いつも2人で」の画像にオードリーが痛々しい物があるんです。
映画では全然痛々しくなんかないのに、ポートレートは痛々しい。
「いつも2人で」のパンフなんて、その痛々しいカラーのオードリー大集合!
なんですけど、これ、以前は“写真うつり悪いのばっかり選んで!”なんて思ってたんですよね。
まあ、確かにそうなんですけれどもね。
全部が全部「いつも2人で」が痛々しいわけじゃなく、
「いつも2人で」の画像でもビックリするくらい美しいのもたくさんありますしね。
そんな美しいのから選んでくれたら、「いつも2人で」の印象も大きく変わるでしょうしね。
あとに残るパンフの画像がこれじゃあねえ…。
一番好きな作品なのに、パンフの画像の選び方は最低の部類ですね。
この「いつも2人で」のパンフの画像の悪さには複数の人から同意見が出ています。


もとに戻って、大好きな「いつも2人で」の画像なのに、なんで自分は
“痛々しい”なんて感じてるんだろうなんて思ってしまいました。
で、どんな風に「いつも2人で」の画像は痛々しいのか…
自分が何に痛々しいと感じているのか分析してみました。
でも、次の「暗くなるまで待って」の画像は全然痛々しくないんですよね。この違いはどこに?
撮影してるカメラマンが違うから?いいえー、そんなことではないと思うんですよね。
実は「いつも2人で」の画像はオードリーが老けて見える画像が多いのです!


じゃあ、「いつも2人で」が痛々しいのは老けて見えるから?
いいえ〜。別に「ロビンとマリアン」の画像を見ても、
「華麗なる相続人」を見ても痛々しくはないので、そこに原因があるんじゃないんですよね。
「おしゃれ泥棒」なんかでも目の下にくっきりシワが写ってる画像が
いっぱいありますけど、むしろチャームポイントになってるくらい。
「おしゃれ泥棒」はシワごと含めてかわいい〜!んです。
で、「いつも2人で」前後の2作品、「おしゃれ泥棒」と「暗くなるまで待って」
の画像と「いつも2人で」の画像とどこが違うのかさらに考えました。
そしたら!
「いつも2人で」のオードリーが前後の2作品と決定的に違う所、それはオードリーが痩せているのです!


オードリーが痩せてる?
そんなの当たり前じゃん!って思ったアナタ、そうじゃないんです。
オードリーもオードリーなりに結構痩せたり太ったりしてるんですよ!
「ローマの休日」撮影以前の1950年前後のオードリーはちょっと太めですし
(と言っても、オードリーの基準からしたら、ですけどね)、
メルと結婚した頃の1954年の画像ではかなり痩せてます。
「戦争と平和」は普通ですけど、「パリの恋人」はぐっと痩せてる。
で、「昼下りの情事」のあとの「マイヤリンク」から「許されざる者」はまたちょっと太ってる。
ショーンを産んだあとの「ティファニーで朝食を」ではまた痩せてて、「パリで一緒に」〜「マイ・フェア・レディ」では普通に戻ってる。
で、「おしゃれ泥棒」でまた少し痩せてるんですけど、「いつも2人で」はさらに痩せてる!痩せてると言うか、やつれてる!
きっと、だから痛々しいんですよね。
おそらく、ここまで痩せたのは結婚後初めてじゃないでしょうか。
「暗くなるまで待って」が痛々しくなく、とっても美しいのはオードリーが普通に戻ってるからなんですよね。


先に書きましたけど、「いつも2人で」のパンフ、
オードリーがパコ・ラバンヌのディスク・ドレスで踊っている写真なんか、腕の骨が見えてるくらいなんです。
真ん中の見開きには目の下にも口の横にもシワがくっきり。やっぱり痩せすぎですよね。
他の「いつも2人で」の時期のオードリーの写真もみんな痩せすぎ。
首も細くなりすぎて、骨が浮き出してます。
こんなに細くなったオードリー、どこかで他にも見ました!それはメルと離婚直後のオードリーなんですよね。
ということは…?

 

オードリーはなぜ「いつも2人で」でこんなに痩せているのでしょう?
僕の考えでは、実はこの時期にオードリーはメルとの離婚を決意してたのではないかと思うのです!!
(さあ、ここらへんからゴシップ欄になってきましたよ)

え?でもオードリーがメルと離婚したのは1968年、別居は「暗くなるまで待って」撮影後でしょ?
って思う方もいらっしゃるでしょうね。
オードリーって、実は体に、その時のオードリーの心が顕われるのではないかなーと思ってるんですよね。
たとえば「パリで一緒に」なんて、他の人がどう言おうと僕の持論は“オードリーは「パリで一緒に」を楽しんでいた!”
だったんですけど(Vol.21「パリで一緒に」参照)、
こないだショーンの本が発売されて、僕の考えが正しかったことが証明されましたけれども、
作品と画像を見て、オードリーがどう見えるかでオードリーの心理状態がわかるんじゃないかなーって思うんですよね。
じゃあ「いつも2人で」であんなに痩せているのはオードリーの心労のせいだとしか考えられない!
そこまでオードリーに負担をかけることって、当時ではメルとのことしかないんですよね。
たしかに「いつも2人で」撮影前にオードリーはまた子供を流産してますけど、
「戦争と平和」の時も、「許されざる者」の時も流産したあと、オードリーはそこまで痩せてないんですよね。
おそらく、子供が生まれることによってメルとの絆も取り戻そうと思ってたオードリーは
この流産後に離婚を具体的に考え始めたのではないかなーなんて思ってるんですけどね。


オードリーって、「いつも2人で」の音楽をヘンリー・マンシーニに頼む時に
“今までで一番いい脚本です。”って手紙を出してるんですよね。
結婚12年目の夫婦の危機…。
「いつも2人で」の撮影は1966年4〜9月ですから、1954年に結婚したオードリーはまさに結婚12年目!
おそらく僕らが考える以上にオードリーはこの作品に自分を見い出してたに違いないと思うのです。
映画の夫婦は絆を取り戻すけれども、私達はもう取り戻せない…。そう思ってたんだろうなーって。


当時、「いつも2人で」撮影中の現場に行った批評家の話では、
“オフスクリーンのオードリーはシワだらけだった”って書いてるんですよね。
“ところがカメラの前に立つと別人のようにきれいになる!”って。
「暗くなるまで待って」の時はどうでしょう。
小森のオバチャマがやっぱりオードリーを訪ねてるんですけれども、その時は“清冽な美しさを増して”っていう印象。
小森のオバチャマはオードリーファンですけど、こんなに印象って違うもんでしょうか?
しかも小森のオバチャマのインタビューでオードリーが重要なことを述べてます。
“私も睡眠薬やお酒に逃避したことがあったけど、それでは何も変わらないし、肌が荒れて美容にも最悪。”
これが「いつも2人で」の頃のお話?みたいな。この発言の前後にはこんなことも言ってます。
“周りが何と言おうと、断固として雑音ははねつけること。でも努力しても無駄だと見極めたら諦めるという決意をすること。”
だからおそらく「暗くなるまで待って」撮影中にはもうオードリーの中ではメルとの関係を“諦める決意”は既に
終わっていたんじゃないのかなって。
吹っ切れたオードリーはまた本来の美しさを取り戻していたんだろうな〜って。


 


「いつも2人で」でのびっくりするくらい美しい写真。これ、メルと並んで笑っている画像なんです。
以前はメルがいるから美しくなれてるの?なんて思ってたんですけど、
ショーンの本とこないだのオードリー展の図録でさらに秘密が判明!
ショーンが撮影現場に行ったのは(ショーンの記憶では)「いつも2人で」が最初だそうなんです。
確かに水着のオードリーの前にいるショーンの画像。それと、びっくりな美しさの画像とおそらく同じ時に写したと思われる
別の写真がショーンの伝記と図録で各1枚ずつ、計2枚掲載されてるんです!
オードリーのTシャツも、メルの黒いポロシャツも一緒。
(ショーンの本と図録では本来1966年であるはずの所を、1965年と間違って表記してますけど)
1つはショーンの伝記にあるメルと並んで桟橋を歩くオードリー、これはどうってことないんですが、
もうひとつは図録に載っている堤防らしきところでショーンを抱きしめるオードリー!
この画像、オードリーの顔はまったく見えないのに、なぜだか圧倒的な力で僕に迫ってくるのです!!!
だから、あの美しさはメルのせいではなく、ショーンがいるせいじゃないかと思うんですよね。

 

 これが問題の美しいオードリー (管理人の無慈悲な策略で、メルはカット・・・)

でも、それまでの作品ではショーンがいなくても撮影していたオードリー
(「噂の二人」の時には連れて来てますけど、あれはまだ赤ちゃんだったからですよね)、
なぜ「いつも2人で」だけショーンを連れてきてるんでしょう?
もちろん撮影が夏で、ショーンが夏休みだった、ということもあるでしょうが、
同じ夏に撮影のあった「パリで一緒に」はそうではないですからね。
それにだいたい、まだ1966年撮影当時はショーンは4〜5才だから、夏休みは関係ないような気もしますしね。
だから、ショーンがいないとダメなほど実はオードリーが悩んでいたのではないかと…。
あのショーンを抱きしめるオードリーがものすごいインパクトを僕に与える理由は、
オードリーはメルと別れてショーンの為に生きる決意をした!のではないかと、そう思うんですよね。
その時に決意したのではないにしても、その写真でのオードリーにはそういう思いを見て取れるんです。


「いつも2人で」の時に悩んで悩んで、そのことにうちひしがれたオードリーが、
「暗くなるまで待って」の時には既に離婚することを自分に納得させて、もうどうにもならないメルとの関係を、

“諦める決意”をして、そこからまた立ち上がっていったんじゃないか、「いつも2人で」の画像を見るとそう思うんですよね。
「いつも2人で」の宣伝写真の数々は当時のオードリーの心の痛みを映しているのではないか、
そんな気がして仕方がないんです…。

 

 

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